〈フォルクローレの曲〉続・チューニョの花が咲く頃に

さて昨日に引き続き。

このチューニョのまとめを更新するのに1週間以上空いてしまいました。時の流れは怖い、なんて言ってられないですね、すいません。ちゃんと書ける時に書いた方がいいなと思いました。

それと案外多くの方が見てくださっているみたいで、感謝しきりです🙇‍♂️

これからも細く長く頑張りたいです。

〜〜〜〜

さて、チューニョの説明を再開したいなと思うのですが、調べたり話を聞いていると、曲一つでも結構深くて、part2では収まらない可能性も出てきました(^^;

とりあえず今回は、歌詞とその意味を書けたらなと思います。弾き方とかは次になるかも。(前回6/25はリズムとタイトルの意味)

チューニョの花が咲く頃に/Cuando Florezca el Chuno の歌詞〉

f:id:anklet:20200706011559j:plain
f:id:anklet:20200706011621j:plain

見にくいところもあるかとは思いますがご容赦ください。

さて、右側にあるのが自分のLa-miaノートです。私たちは普段、ケチュア語とかアイマラ語とかスペイン語とかの歌詞をこんな風にカタカナに直して覚えています。基本は先輩に見せてもらって、書き写していくという方法なので年を経ていくと、あれ?ここ違うぞ?とかとなることもあります。こうして見てみると、聞き取れているようで聞き取れていない部分もあるので、やや恥ずかしいですね!

話を本筋に戻すと、基本的な構成は1→2→2→3、4→2→2→3で一番1セット。二番でも同じ構成。ということは、左側では(saltando tobás)の上の部分までが重要っぽい。早速訳してみます。とは言っても翻訳ソフトに放り込んだだけですが。ソフトが正しいとは思ってませんが、歌詞も言葉である以上、ある程度のニュアンスは読み取れると判断しました。いつかスペイン語も学んで、ちゃんと訳してみたいです。

〜〜

すでに親に嫌われているとしたら、それは私のせいです。
シトイドが笛を吹かないのは、あなたの不在が悪いからです。
湖に入る川のように、また戻ってくると言われています。
湖に入る川のように、また戻ってくると言われています。
ジュマンピ、ナヤンピ
チュウニョの花が咲く頃

クァンワン、ヌクァンワン
チュウニョの花が咲く頃

自分が生まれた土地を忘れたとか言うなよ。
生まれた国を忘れたとか言うなよ
湖に入る川のように、また戻ってくると言われています。
湖に入る川のように、また戻ってくると言われています。
ジュマンピ、ナヤンピ
チュウニョの花が咲く頃
クァンワン、ヌクァンワン。
チュウニョの花が咲く頃

〜〜

ところどころ変なところもありますが、何となくわかったこともある。

・この歌は「叶わぬ恋」を表したものというエピソードがあったりするけど、この歌詞を一見すると意外とそんな感じじゃない

・やっぱり、あなた=自分はその場にはいない歌だということ。→いない人を待っている歌。だけど「チューニョの花が咲く頃」と言っているから、それは不可能であること。

(自分はここで、夏目漱石夢十夜を思い出しました)

・いない人の理由が、戦争か犯罪を償って戻ってくるためなのか、はたまたもう会えない恋人なのかはわからない。カラマルカが曲を作った時期や、どこを舞台にしているかを突き詰めればわかるのかもしれないけど。

・受動態、能動態が正しいのか?という部分もあるが、おそらくジュマンピ(以下

は感嘆詞とかなのではないだろうか?

 

ともかく歌詞を読んでみて、自分が抱いた感想としては、思っていたよりも深くて重い、どこか罪の意識も感じるような、だけど彼が帰ってくると信じる気持ちがまだ残っている。そんな切なさを感じました。

 

最近、歌う時にもちゃんと感情を込めた方が歌いやすいし、よく聞こえるということで、ちょっと片隅にでも意識してみたいと思います。でも、あまり重苦しくなっても何だなという気持ちもあるので、弾いてる時に思っとくくらいにしておきます。